November 3, 2019


レモンを見ると唾液が出る前に米津玄師を思い出してしまった人、それ僕と同じです。

そんな条件反射をしてしまったある日の昼下がり。

ふと、他にも自分に備わる条件反射ってあるかなーなんて考えてみると、けっこうあるんですよ。


・本屋さんで本棚が乱れていると整えてしまう。
・服屋で服の生地をシャリシャリと触ってしまう。
・テレビのナレーションを頭で文字に変換してしまう。
・「正解は?」と聞かれたら答えそっちのけで「越後製菓!」と言ってしまう(元気な声で)。


本屋でバイトしてたり、アパレルで働いていたり、文章を書く仕事をしたり、斬新なCMが記憶に残ったり。そんな経験からなのか(おそらくそう)、知らないうちに自分に染み込んでいた条件反射が、考えるとどんどん出てくる。

そうしてるうち、僕を形容してもいいくらい大きな条件反射があることに気付きました。


「困難なことを目の前にすると、最初から『きっとダメだ』と諦めてしまう」


なぜこんな思考になったのかは定かではなく、自分の記憶がない頃の経験から備わったかもしれないし、生まれつきの性格かもしれない。

僕はこの条件反射によって随分苦しめられました。というか、今も気を許すと「そんなことお前がやっても上手くいくわけねーよ」なんて、耳元でリトル・フナヨセ(久しぶりに出てきた)が囁いてきます。

だから、これまでの人生は「ああしとけばよかった」とか「あの時、なぜこうしなかったのか」のオンパレード。いつまでも後悔を引きずって、過去を生きていたように思います(これ、この前の立体のテーマだったな)。

ただ、最近はその思考がちょっと変わってきました。

 


「きっと無理だろな」と「やり遂げたら楽しいかも」、その考えが拮抗するんです。
 


その理由は、数年前からやりたいと思える仕事をやり始められたから。そして、「やりたい」「好きだ」と思える仕事をやり遂げた瞬間の幸福感を知ってしまったから。おそらくそれだと思います。

もちろん全ての仕事が「これ好きだからやりたい」なんてことはないけど、少しでも「やりたい」「好きだ」と思える仕事を選ぶようにしたら、「恐れる気持ち」と「挑戦したい気持ち」がせめぎ合うようになっていき……。

最近では「無理だろうな……でも、これやれたらめちゃくちゃ楽しいんだろうな」という思考になっていました。知らないうち...

September 5, 2019

最近、ひとつの仕事を自ら辞め、ひとつの仕事が終わり、ひとつの仕事の依頼を受け、ひとつの新しい仕事が始まった。

だからなんだって感じだけど、あたらめてこう書いてみると、なんか「生きている」って実感したんす。

自分で言うのも何だけど、僕の根は真面目で融通が利かず(高倉健なみに)不器用なところがある。その性格からか、最近仕事をしてて「仕事なめんなよ」とか「魂込めてやれよ」なんて言葉をよく口にする(小心者だから心の中でね)。

ちなみに、“魂込めて”は1992年のアジアカップで三浦知良がゴールを決めて「魂込めました、足に」の影響(それ、どうでもいい)。

その昔、元ジャニーズ事務所所属だった反町ッス隆史(平家派ね)が「言いたいことも言えないこんな世の中は」と歌っているけど、最近の僕は「言いたいことを言う世の中」で生きているように思う。

でも、数年前まで「言いたいことも言えない」反町ッスな自分だった。

会社員時代、極度に自分に自信がなくて、言われたことを怒られない程度にやり過ごすことばかり考えていた。プライドなんかなくって自分の気持ちは極力抑えて、受け身で毎日がただ過ぎていったって感じ。

だから、生きている実感もなかったし、どこか現実逃避するように「自分に向いている仕事ねーかなー」なんて毎日考えていた(たくさん自己啓発本を読んでいた時期ね(ハート))。

まあ、そんな日々を十数年も続けて(なげーなー)、いろいろあって(説明しろよ)、フリーランスになり、ひょんなことから今ライターという仕事をしているわけで。

最初は「これ暮らしていけんのかよ」って感じでズタボロに打ちひしがれながらも「ライターってなんとなく楽しいなー」って思いながら続けていくと、「あれ、なんだか仕事に繋がっていくなー」なんて状況になり。どこからともなく忘れてた自分の性格が戻ってきたことに気付いたんす(それが今)。

もともと、僕は「曲がったことが大っ嫌い」と原田泰造が言っていたように(これも古いな)、理不尽なことや不真面目なことを目にすると(小心者なのに)後先構わず「それ、ちげーよ」なんて突っかかっていた。それで疎遠になった人も何人かいたなー(遠い目)。それでも、やっぱり自分に正直な方が、自分らしく生きやすかったように思う。

けど、なんで今、そんな自分らしい性格になんで戻れたんだろ……考えること二時間(なげーなー)。

おそらく、今の仕事にプライ...

July 25, 2019

幼い頃に見た映画を思い出した。

確か小学4年生くらい、金曜ロードショーみたいな番組で見た映画で、ストーリーは全然覚えてないんだけど、クライマックスは、炎に包まれた人造人間の女性が主人公に向かって「お前たち人間は必ず死ぬんだ」と言っていたことは覚えている。

このシーンを見て僕は「そうか、僕もいつかは死ぬんだ」と、生まれて初めて自分の死を考え、あまりに怖くなってしまった。

最近、よく思うことがある。

それは自分が生きる時間は限りある、ということ。

もうすぐ(といってもまぁ、数年あるけど)40歳を迎える僕は「バリバリ動けるのが60歳までだとすると、あと20年しかないんだよなー」なんて思うわけで。

そう思う度に、焦るわけでもないけど(焦れよ)、「それなら好きなことやらなきゃ」って気持ちになる。

来る日も来る日も「早く仕事終わらないかなー」なんて思いながら、言い訳ばかりでしのいできた20代。当時は自分の気持ちなんてそっちのけ、愛想笑いを駆使し、やりたくもない仕事でも「頑張ります!」なんて見え透いたウソをついていた(バレバレ)。

そんなくだらない(ような)時間をたっぷりと費やした僕は、ある日を境にそんな自分に嫌気がさし、その途端に体を壊し、心も壊し、人生に挫折し。

それで得たもの。

それは「誰かの人生ではなく、自分の人生を生きる大切さ」のような気がする。

もちろん、今だって「今、誰かの人生に引っ張られてるなー」なんてこともあるけど、20代の自分が反面教師だったのか、以前よりは自分の人生を歩めているんじゃないかな。

幼い頃見た映画のワンシーン。

人造人間の女性の「お前たち人間は必ず死ぬんだ」という言葉。

今なら「そんなの知ってるよ、だから楽しく生きるんだ」と(胸を張って)言いたい。

そんな気持ちになった夏本番の夜。

それにしても、ビールが美味しい季節だな(どうでもいい)。

June 29, 2019

写真は今年で活動30周年を迎えるロックバンド、THE YELLOW MONKEY(以下「イエローモンキー 」)を特集した雑誌『SWITCH』の7月号

僕がどれほどイエローモンキーが好きなのかは、長々と4月17日に書きましたが、今回はその続きというか、終わりというか、始まりというか。

「この特集で原稿を書いた」

単純に言えば、こんな簡単な文章にはなるんだけど、普通に考えるとあり得ないわけで……それくらい僕にとっては天にも昇る出来事であり、生きてて良かったと心から思える経験となりました。

遡ること3カ月前(忘れもしない3月18日)。

突然、SWITCHの(スーパー)編集者さんから「イエローモンキーの特集をやるから手伝ってほしい」との電話。

僕は以前、この雑誌も発行する出版社、スイッチ・パブリッシングにいたけど、辞めてから数年が経つし、まさか自分に声がかかるとは夢も思わなかったわけで(この編集者さんとのエピソードが僕の人生にとって大きな出来事になったのですが……綴ると数千字に及ぶのでまたの機会に書きたい)。

電話でその言葉を聞いた途端、僕は人目をはばからず泣きながらくしゃくしゃの顔で「一生懸命やります」と返答したことを覚えています(青春か)。

それからしばらくして、僕はイエローモンキーのメンバー、そして彼らを95年から撮り続けてきた写真家・有賀幹夫さんに取材をさせていただきました。

みなさんと同じ時間を共にしたはずなのに、思い返すと自分がその場にいたことすらあやふやで、未だに不思議な気持ちになります(確かにいたんだけどなー)。

そして、いよいよ原稿に取りかかることに。そんな僕は思いもよらない恐怖と直面します。

当然、誌面に書くことのできるページ数と文字数は限られているため、取材した全ての言葉を掲載できるわけではありません(まぁ、それはどのインタビュー記事も同じなんだけど)。

「この言葉を選ぶべきか」

「それともこの言葉なのか」

僕の選ぶ一文がイエローモンキーファンはもちろん、この特集を読む人に最も届くような内容にしたい、というか、しなきゃいけない。

そう考えれば考えるほど、迷うし、悩むし、手が止まるし……。

ただ、そんな苦悩が続きながらも、20年以上もファンであり続けるイエローモンキーの記事を書く喜びを噛みしめる日々。

執筆のピークとなる1カ月間、僕はSWITCH以外の仕事は抑えて、家事もマイワイフに任...

April 17, 2019

2000年、僕は大学生でした。

当時はろくに大学にも行かず、バイトしてサッカーして、だらだらして。

未来なんて考えず、今をなんとなく過ごす。典型的なそっち側(どっち側だよ)の大学生をしてたなー。


ただ、そんな僕でも夢中になるものがあったんすよ。

ひとつは松本大洋先生の名作『ピンポン』。

自由奔放でお菓子好き、幼い頃から天才と呼ばれながらも、その実力を過信してしまいのちに大きな挫折を経験。その後、幼馴染の一言で奮起し、復活を遂げる主人公のペコ(右ペン・前陣速攻型)に憧れていた僕(まわりくどいな)。

あまりにも影響を受けてたから、その言動を真似したり(病気)、当時実写化された映画を7回観たり(これも病気)、まぁ、とにかくペコ熱にうなされていたわけです(まさに病気)。


そして、もうひとつ夢中になったもの。

それがロックバンド・THE YELLOW MONKEY(以下「イエローモンキー」)。

高校時代にサッカー部の同級生、やもりくん(ボランチ)に「これ聴いてみ」ってCDを渡され(たぶんそんな感じだった)、彼らと出会いました。

当時、音楽チャートはさわやかビジュアル系バンドが席巻。その流行りからは外れ、独自の路線(特に『SICKS』が好きだし永遠の一枚)で音をかき鳴らすイエローモンキーの世界観に、僕はどんどん魅了されていきました。

その延長として、バンドのメンバーが影響を受けたアーティスト、特にデヴィッド・ボウイはよく聴いていたなー(あと、歌謡曲)。


大学に入ってもイエローモンキー熱は相も変わらず、というか、ますます加熱していき、曲を聴くだけにとどまらず、関西圏のライブにはほぼ行ってたんすよ(京都に住んでたからね)。


そんな2000年、イエローモンキーがリリースしたアルバム『8』(8枚目だからね)。

もうなんかね、「やっぱり売れ線感なんて微塵もねーじゃん、好きだー!」「このバンドしかこの音楽は作れねー!」なんて夢中になっていた矢先、突如バンドは活動休止を発表。

「まぁ、バンドに休止はつきものだもんね」「仕方ないよ」なんて待ち続けたけど……


僕が東京で働き始めた2004年にバンドは解散……なんでやねん。


同年12月に東京ドームで「イエローモンキー展」なるイベント(未だに謎)が開催され、最終日にメンバーが登場。

突然『JAM』を歌い...

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