April 29, 2018

今日、僕は「原稿の不備がありまっせ」というメールで5時に起きました。なんとか7時に原稿を修正してメールを送ろうとしたら、ファイルが壊れてデータが消えました。幸先よい大型連休のはじまりです。

GWといっても仕事と休みの区別がない生活を送っているので、休日や祝日という言葉に敏感ではなく、いまでは曜日感覚もあまりないような気がします(そこはちゃんと持っててほしいけど)。

そもそも休日や曜日感覚がなくなったのは2年前。会社員だった僕はふがいない人生(と思っていたし、おそらくそうだった)を変えたくて「何かのきっかけになるかも」と、土日にコーヒースタンドをはじめました。

近所の飲み屋さん「カメヤ商店」を間借りして(亀さん、いつもお世話になってます)、週末の朝のみオープンするという限りなくニッチなコーヒースタンドです。

いまだから言えますが、僕はどこかのコーヒー屋で働いたこともなく、おまけにコーヒーの知識も曖昧(いまでも怪しい)。コーヒーに詳しい人に淹れ方を教えてもらったものの(一応、たくさん練習はしたけどね)めちゃくちゃ自信がないまま、コーヒースタンド「ヨリフネ珈琲」はスタート。

「その時間しかやらないの?」ってくらい短時間営業だったし、「これは美味しい!」って口コミで広がることもなかったから(当然だけど)、全然人は来ませんでした。でも、会社員じゃない別の肩書を持ったことに僕は酔っていたし、「コーヒースタンドやってるってよ」って自慢できるから、どんなに疲れていても歯を食いしばって続けました(どうしようもない)。

それから数ヶ月後。コーヒースタンドはポツポツとお客さんが増えていき(と言っても数えるほどだけど)、カッコつけてはじめたコーヒースタンドだったけど、僕はあることに気づきます。


「人を知ることって楽しい」


見ず知らずの人(知ってる人も)が「おはよう」って顔を合わせ何気ない会話から、その人の人生を少し垣間見ることができる。その瞬間がたまらなく好きだなって日を追うごとに実感しました。

週末だけの営業だったけど多くの人と出会えたし、いまでも仲良くしてれる大切な人もできました。(おそらく)コーヒーは美味しく淹れられるようになったし(ってかはじめから美味しいヤツ淹れろよ)、コーヒーが僕のコミュニケーションのひとつになったかなと思います。

結局、本業(会社)が忙...

April 7, 2018

はーるの、こもれびのなかでー、きみのーやさーしさにー

新生活、田舎から京都で大学生活が始まった僕は、田舎コンプレックスに悩まされていました。

前提として、地元ではずっとサッカーをしていたのでバイトなんかできるわけもなく、服なんて買えなかったから、おしゃれとは程遠い暮らをしていました。

だから、花の都大京都のキャンパスにいる大学生がキラキラまぶしくてしょうがなかったんですよね。

反面、自分を見たらダサくてカッコ悪くて、とても恥ずかしく感じていました、いわゆる自意識過剰ですね。

振り返ると、別にまわりの全員がおしゃれなわけじゃなかったけど、「田舎から出てきた劣等感」をヒシヒシと感じていたわけです。

「お前、田舎者だな」って思われる恐怖から、僕はバイトをしては稼いだお金をほぼ服代にしていました。

当時、どんな格好をしていたかは覚えてないけど、なぜか「デニムを履くのはダサい」と思い、黒いパンツとか履いてました(それこそダサい)。

おそらくデニム=カジュアル、カジュアル=田舎者と頭の中で組み込まれていたようで、頑なにデニム履いてなかったなー。

そんな劣等感から僕は服を買いまくり、僕はいつしか周りでは「おしゃれに気を使う人」になっていました。

でも、もともと服で着飾るセンスはないので、たまに様子のおかしいファッションをしていました。

ここで、様子がおかしかったファッションの一部を紹介します(誰も興味ない)

商品No.1「黒いロングコート」
当時、茶髪にしてウールのロングコートを羽織り、革靴を履いていたので、正月実家に帰った時に「ホストか」と親戚にツッコまれました。

商品No.2「スケルトンの厚底サンダル」
尖ったデザインが気に入って、即購入。気に入って履いてたけど、よく考えたら185㎝もある大男が、さらに厚底でデカくなるなんて気持ちわるさ満載(どこ目指してるんだよ)。それにシースルーって……水泳バッグか。

商品No.3「紙袋の旅行カバン」
当時、ブランドの紙製バッグ(ショッパー)をサブバッグとして使うことが流行っていたので、僕は何を思ったのか、ユナイテッドアローズの大きな紙バッグだけで旅行に行きました(どうしようもない)。

パリ、ミラノ、ニューヨーク、ロンドンの4大コレクションも顔負けのスタイリングをしていた大学時代。その頃の写真を振り返ると(振り...

April 5, 2018

あっという間に過ぎた今年の3月。

前半はTORAYAさんとオカタオカさんに、後半はhaseさんといわもとまきこさんに展示をしていただきました。

展示していただいたみなさま、あらためて感謝もうしあげます。

そして、横浜からほど近くのそりまち(4代目相棒)…ではなく、たんまち(反町)に多くの方にお越しいただき、こちらも感謝してやみません。

そんな駆け抜けた感満載の月でしたが、少し落ち着いたとき、ちょっとだけ思い返すことがありました。

僕は6つ上の兄がいます。

美術好きの兄は27歳で会社員を辞め、そこからカメラマンの道を目指し、いまはフリーのカメラマンとして仕事をしています。

僕は幼いころから兄の背中を追い、大きな影響を受け成長したので、兄のようにクリエイティブな仕事に憧れていたし、その素質が自分にもあると心の奥底で思っていました(大きな勘違い)。

ちなみに、僕は図工の成績は悪かったし、いま記入欄に「執筆業」なんて書くことがありますが、国語も鳴かず飛ばずでしたよ(良かったのは体育だけ)。

兄のように、なにかを生み出す人に憧れを持ちながらなんとなく大学を卒業して、なにものでもない会社員になりました。

そんなどうでもない自分だったけど、心の中には「いつかはクリエイティブな仕事に就くんだ」て思いは残っていたから(まだ勘違い中)、ときには、読んだだけじゃどうしようもないのに「クリエーターになる方法」みたいな本を読みあさったり、コピーライター養成講座に通ったり(これは楽しかった)、美大(夜間)の入学説明会を聞きにいったり(受験してはいない)していました。

右往左往、そんなことを働きながらやってみたけど鳴かず飛ばず。時間だけは確実に過ぎていって、気がつくと僕は兄が脱サラしてカメラマンを目指した27歳になっていました。

相変わらず僕はうだつの上がらない会社員だったし(それはまだまだ続くことをその時はまだ知らない)、あちこちに手を出してみたけど結局は何もかも中途半端でなにものにもなれなくて。

そんな自分に焦って、焦って、落ち込んで。

でも、心の奥底ではまだちょっとクリエーターになれるんじゃないかって思ってました(諦めが悪い。三井寿か)。

ただ、その焦りは30歳に近づくにつれ、さらに大きなものとなり、最後は理想と現実のギャップに参ってしまいました。

「結局、自分は生み出す人にはなれないし、仕事もできないから、自分には価値...

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