“楽しそう”は、本当に楽しいのか
たまに、「いつも楽しそうですね」と言われることがあります。 「おお、ほんとですか」なんて言いながらも、「いやいや、実際は全然楽しくないから、みんなが見てるとこだけカッコつけてるだけっすよ」と心で思ってる時期が(相当な時間)ありました。 30歳くらいまでは、“どうやって人に見られるか”を意識するあまり、たとえば、有名人ばりに才能あるあるアピールをしたり(ヤバいやつ)、ここに行けばオシャレの仲間入りだと勘違いしながら流行りの展覧会に行って、「これは前衛的な作品だ。まるで春の心地よい昼下がりのよう」なんて、全然感じてもいないのに、自分が知的だと思われたい願望でSNSに載せたりしてました(かなりヤバいやつ)。 要するに、中身なんて何にもない薄っぺらな人間でした(まぁ、今でもですが)。 でも、なんでそんなことする必要があったのかなー、なんて今更ながら考えてみると、 どこかの場面で、「仕事できないよね」「自信がないよね」「抜けてるよね」「かっこ悪いよね」って思われてしまい、 「あなたはダメな人だよねー」ってレッテルを貼られることにとても恐怖を感じてたから。それをきらって、仮の自分を必死に、そして滑稽に作っていたんだと思います。 でも、必死だったなぁ。 もちろん今でも見栄はあるし、周りの目も多少は気になるけど、「仕事できませーん」「アート見てもわかりませーん」「よくミスりまーす」「田舎もんでカッコ悪いっすー」って素直に言える自分がいます。 そのかわりに、「ライターしたり、ギャラリーやったりすることが好きだー」「よく分からんけど、アートが好きだー」「ミスるけど、またチャレンジしたいー」「かっこ悪いよね、だって自分だもの(みつを)」って言える自分もいます。 その変化は、おそらくですが、自分を作ることに疲れたこと、そして、自分は何者でもないと思えたこと、そこに僕のターニングポイントがあったかなと思います。 何者でもない自分だからこそ、周りに気を取られることなく、思うままに生きる。 こんなこと書いてるけど、それは僕の目標です。 だって、だって、やっぱり少しは見栄を張っちゃうもんね(最初に戻る)。