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「ぼくとトットリ」①


僕は30数年前に、鳥取の小さな町で生まれました。 1番古い記憶を思い出してみると、保育園の入り口で母親に抱きかかえられながら、「ポンキッキ見たい~」と涙を流し駄々をこねていた景色と思われます。とはいっても、保育園の記憶はそれくらいしか思い出せないので、もしかしたらポンキッキのくだりも、僕の妄想なのかもしれません。 ちなみに僕はムックよりガチャピン派です。 家から歩いて5分と近かった保育園は、少し(か、けっこう)前に取り壊されたようで、今ではだだっ広いさら地になっています。 その場所から歩いて5分すると、僕が通った小学校があります。もちろん6年も通ったので、それなりに記憶があります。 例えば、3年生の図工で、絵なんか上手くないのに、当時担任だった先生の似顔絵だけは妙に似ていると感じた僕は、まわりの友達に「この絵、上手いだら~(“上手いでしょ”の鳥取弁)」と自慢げに言ってまわりました。でも、誰も聞く耳を持ってくれない。リアクションもない。おそらく僕はそれで絵の自信をなくし、画家以外の夢を選ぶようになりました。 その時、「上手い!」「似てる!」なんて言われていたら、今頃は鳥取を代表する画家になっていたんだと思います。あくまで過大評価ですが。 それにしても、10歳そこらの子どもが、担任の似顔絵を教室中で見せびらかせていた光景を想像すると、少し狂気にも見えるのは僕だけではないはずです。 そんな、挫折を味わった小学校(もっと思い出あるけどね)も、少し(か、けっこう)前に取り壊されています。 だから、僕の通った保育園も(たしか幼稚園も)、小学校も、もうありません。 もう、お分かりかもしれませんが、鳥取は“目に見えて”「過疎化」が進んでいます。もちろん少子化の流れもありますが、僕のように鳥取を離れる人がまわりにたくさんいます。僕たちは高校を卒業すると、おおよそ7割(当社比)が県外に出てしまいます。それは、行きたい大学や専門学校があったり、都会に憧れたりと理由はそれぞれです。僕も都会に憧れた中のひとり。 「ここは田舎で退屈だから、キラキラした都会に行きたい」 出身地は違っても、けっこうな人にこの言葉は共感してもらえると思います。「都会に出れば、僕の、私の人生は幸せだ」と考えていた人、その場で手を挙げてみてください。 はーい(僕です)。 そんな、気持ちで故郷を離れたはずなのに、20代後半になるとぽつりぽつりと地元に戻る友人や知人が増えていきました。

「なんで、あんな退屈な町に戻るんだろう」 都会の絵の具に一生懸命染まろうとしていた当時の僕は、そのまわりの動きの意味が分かりませんでした。 つづく(かも)


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