

小説より人生は“おそらく”奇なり
気づいてないかもしれないけど、誰しも人生のターニングポイントがあると思います。
僕がいまこうして自分らしい(と思われる)暮らしを送れるようになった理由のひとつに、駒沢の本屋さん・SNOW SHOVELINGの中村さんと出会えたことがあります。
中山美穂に初めて会った辻仁成が「やっと会えたね」と言ったシチュエーションではなかったんですが(そもそも、そんな出会いは辻仁成しかありえない)、僕がまだアパレルメーカーに勤めていたときに、初めて中村さんと会いました。
未経験ながら本屋を始めた中村さん。アメリカの本屋に来たのかと錯覚(そんなに行ったことないけど)するほど洗練された空間に感動し、それにも増して中村さんの誰にも何にも許容する姿に感銘を受け、「中村さんになりたい」と堂々と言っていたほどです(気持ちわるい)。
その出会いからはや6年。中村さんへの憧れを持ったまま、僕はアパレルメーカーから出版社、そして今の仕事へと流れつき、先日偶然にも出版業界の新聞、新文化でSNOW SHOVELINGを紹介することができました。
“人生は小説より奇

“変化すること”は、よいことか
「この仕事どうですか?」なんて言われて、楽しそうだなってときは後先は考えず「やります!」って言ってしまいます。
でも、自分の能力なんて気にせずにOKしてしまうので、受けてから「よくよく考えると自分の能力だと受けちゃダメだよ」なんて不安になり、その先に焦りは絶頂に達します。
会社員だった頃は、自分の能力(ぜんぜんできなかった)がバレていたから、「お前はこんなもんだろ」と査定されて仕事を振られてたし、「これやりたいっす!」なんて本心では思ってないことを一応言うことがほとんどだったから、今みたいに「いやー、やるって言わない方がよかった」って後悔することは少なかった気がします。
本心でやりたいと思わずに会社員を続けるとどうなるか。
チャレンジをしなくなります。
当時、僕は「チャレンジして失敗なんかしたら、怒られて評価は下がるし、残業も増えちゃうから、言われたことだけやればいいや(それもできてなかったけど)。そしたら、週末は休みもらえるし、そこまでなんとかガマンガマン」なんて思っていたわけです。
だから、会社員時代に成し遂げたこ

“楽しそう”は、本当に楽しいのか
たまに、「いつも楽しそうですね」と言われることがあります。
「おお、ほんとですか」なんて言いながらも、「いやいや、実際は全然楽しくないから、みんなが見てるとこだけカッコつけてるだけっすよ」と心で思ってる時期が(相当な時間)ありました。
30歳くらいまでは、“どうやって人に見られるか”を意識するあまり、たとえば、有名人ばりに才能あるあるアピールをしたり(ヤバいやつ)、ここに行けばオシャレの仲間入りだと勘違いしながら流行りの展覧会に行って、「これは前衛的な作品だ。まるで春の心地よい昼下がりのよう」なんて、全然感じてもいないのに、自分が知的だと思われたい願望でSNSに載せたりしてました(かなりヤバいやつ)。
要するに、中身なんて何にもない薄っぺらな人間でした(まぁ、今でもですが)。
でも、なんでそんなことする必要があったのかなー、なんて今更ながら考えてみると、
どこかの場面で、「仕事できないよね」「自信がないよね」「抜けてるよね」「かっこ悪いよね」って思われてしまい、
「あなたはダメな人だよねー」ってレッテルを貼られることにとて