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19年前の自分、死ぬんじゃねーぞ


9999

2000年、僕は大学生でした。 当時はろくに大学にも行かず、バイトしてサッカーして、だらだらして。 未来なんて考えず、今をなんとなく過ごす。典型的なそっち側(どっち側だよ)の大学生をしてたなー。 ただ、そんな僕でも夢中になるものがあったんすよ。 ひとつは松本大洋先生の名作『ピンポン』。 自由奔放でお菓子好き、幼い頃から天才と呼ばれながらも、その実力を過信してしまいのちに大きな挫折を経験。その後、幼馴染の一言で奮起し、復活を遂げる主人公のペコ(右ペン・前陣速攻型)に憧れていた僕(まわりくどいな)。 あまりにも影響を受けてたから、その言動を真似したり(病気)、当時実写化された映画を7回観たり(これも病気)、まぁ、とにかくペコ熱にうなされていたわけです(まさに病気)。 そして、もうひとつ夢中になったもの。 それがロックバンド・THE YELLOW MONKEY(以下「イエローモンキー」)。 高校時代にサッカー部の同級生、やもりくん(ボランチ)に「これ聴いてみ」ってCDを渡され(たぶんそんな感じだった)、彼らと出会いました。 当時、音楽チャートはさわやかビジュアル系バンドが席巻。その流行りからは外れ、独自の路線(特に『SICKS』が好きだし永遠の一枚)で音をかき鳴らすイエローモンキーの世界観に、僕はどんどん魅了されていきました。 その延長として、バンドのメンバーが影響を受けたアーティスト、特にデヴィッド・ボウイはよく聴いていたなー(あと、歌謡曲)。 大学に入ってもイエローモンキー熱は相も変わらず、というか、ますます加熱していき、曲を聴くだけにとどまらず、関西圏のライブにはほぼ行ってたんすよ(京都に住んでたからね)。 そんな2000年、イエローモンキーがリリースしたアルバム『8』(8枚目だからね)。 もうなんかね、「やっぱり売れ線感なんて微塵もねーじゃん、好きだー!」「このバンドしかこの音楽は作れねー!」なんて夢中になっていた矢先、突如バンドは活動休止を発表。 「まぁ、バンドに休止はつきものだもんね」「仕方ないよ」なんて待ち続けたけど…… 僕が東京で働き始めた2004年にバンドは解散……なんでやねん。 同年12月に東京ドームで「イエローモンキー展」なるイベント(未だに謎)が開催され、最終日にメンバーが登場。 突然『JAM』を歌い始め、その様子をスタンド席で観ていた僕。 暗い部屋で一人 テレビはつけたまま 僕は震えている 何か始めようと 僕は走馬灯(こういう時に使うやつだな)のように、次々とイエローモンキーの思い出が溢れ出し、まわりの人が引くくらい(これホントで)ワンワン号泣していました。 この一曲を歌い終わると、彼らは何も言わずステージを降り、それから僕たちの前に姿をあらわすことは決してありませんでした。 その瞬間、イエローモンキーはこの世界から消えてしまったんす……。 「一生勉強 一生青春」と相田みつを先生は言ってるけど、僕の青春はここで終わったような気がします。 それから今までの十数年、僕は社会の厳しさと多くの挫折をこれでもかと味わいながら(もちろんいいこともあったけど)、ずいぶんと大人になっていったわけで。 いやー、本当いろいろあったなぁー(遠い目)。 歳を重ねるごとに、イエローモンキーは過去の青春になっていったし、もう懐かしむだけのものだと思っていたし。 これっぽっちも期待してなかった2016年、イエローモンキーは再集結を発表。 まぁ、うれしかったんですけど、全く信じられなかった。 それからの3年間、新曲も出たしライブも行ったし、なんならこの前の武道館も行ったけど、いまイエローモンキーが僕と同じ世界に存在していることを、やっぱり信じられない気持ちが多分にある。 そんな気持ちのまま、今日、彼らは19年ぶりのニューアルバム『9999』リリースした。 果たしてこの新譜を聴いて、僕は彼らの存在をしっかりと認識できるようになるのか(それ必要か)。 というか、その前に19年前の自分へ「19年後にイエローモンキーの新譜が出るから、解散しても諦めずに待ってろよー」と言いたい。 そして「その19年の間にお前は、死ぬほど悩み、死ぬほど苦しいことがあるけど(これ本当)、絶対に死ぬんじゃねえぞ」と言ってあげたい。 それくらい幸福な日。 生きていてよかった し、これからも生きたいと思う、しっかりね。

—— Hiroyuki Funayose

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