

「ぼくとトットリ」②
10代で鳥取を離れ、20代は都会で勘違いをし、30代で地元を少し見つめることができた僕。 「なにもない」と思っていた鳥取には、自然豊かな環境や人と人の繋がり、県外の人を受け入れる度量、そこから生まれる新しい文化がとても豊かだと感じました。 よく考えてみると、10代で鳥取を離れた僕


「ぼくとトットリ」①
僕は30数年前に、鳥取の小さな町で生まれました。
1番古い記憶を思い出してみると、保育園の入り口で母親に抱きかかえられながら、「ポンキッキ見たい~」と涙を流し駄々をこねていた景色と思われます。とはいっても、保育園の記憶はそれくらいしか思い出せないので、もしかしたらポンキッキのくだりも、僕の妄想なのかもしれません。
ちなみに僕はムックよりガチャピン派です。
家から歩いて5分と近かった保育園は、少し(か、けっこう)前に取り壊されたようで、今ではだだっ広いさら地になっています。
その場所から歩いて5分すると、僕が通った小学校があります。もちろん6年も通ったので、それなりに記憶があります。
例えば、3年生の図工で、絵なんか上手くないのに、当時担任だった先生の似顔絵だけは妙に似ていると感じた僕は、まわりの友達に「この絵、上手いだら~(“上手いでしょ”の鳥取弁)」と自慢げに言ってまわりました。でも、誰も聞く耳を持ってくれない。リアクションもない。おそらく僕はそれで絵の自信をなくし、画家以外の夢を選ぶようになりました。
その時、「上手い

イチ、ニー、サン、バーーー(スキア)!
もうしばらく経つけど、数年前にウルトラクイズで優勝できなかった僕は、実費でニューヨークに行きました。季節は真冬、雪が降り積もる道路脇の排気口からは、もくもくとした煙が出ていた光景が広がり、「なんともニューヨークっぽい」って感動したっけな。 ろくにアートの知識もなかったのに(今でも