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「10月はけっこうしんどかったんすよ」


9月末から風邪をこじらせて、なんとなく食欲がなくなり、お腹の調子が悪化。治るかなーと思ってたけど、全然よくならなくて、さらに食欲不振で高校生時くらい体重に(つまり痩せたってこと)。

いっこうに体調がよくならないから「もしかしたら大きな病気かも…」と不安になり、日本大げさ協会(会長はうちの父)の理事である僕は、みるみる元気がなくなっていきました。

フリーランスになって健康診断を受けてなかったから、自分の症状をインターネットで調べて、「あーもう手遅れだ」(大げさ)、「あー、大病だ」(これも大げさ)とオロオロして、「もしかして自分ヤバいかも(その通り)」と医者でもないマイワイフに何度も症状を訴える僕。まさに、日本大げさ協会の…(もういい)。

結果、不安は悪い妄想となり、最悪の状況=死を想像することに……。

たとえば ぼくが死んだら、そっと忘れてほしい

さみしいときは ぼくの好きな 菜の花畑で泣いてくれ

って、これは森田童子の歌詞です(名曲だし、eastern youthのカバーも最高)。

それはともかく、「いま、僕が死んだら、心残りはあるだろうか」って考えたわけです。

もちろんマイワイフや家族(猫のわらびさんもね)とか友人は悲しむし(そうあっってほしい)、たくさん迷惑かけるだろうな。なんて思う一方で、今の生活はけっこう満足しているから思い残すことはあまりないかもなーって思ってしまいました。

社会人になってからの十数年は、自分の思い描く世界を生みだせなくて(それは自分のせいなんだけど)、それはそれはダークな毎日を過ごしていました。まあ、カッコつけてたから、当時のSNSでは「おれ、こんなに充実してる毎日を過ごしてるけどな」ってアピールして、心のバランスを取っていたけどな(笑ってやってください)。

そのダークサイドな実生活と比べると、今は自分らしく生活できてるから、死を想像しても「なんか後悔ってあるかなー」なんて思ったわけです。

でも、本当にやり残したことってないのかな。

そんなことをぼけっと考えてたら、「やり残したこと」じゃなくて、この先「生きててよかったー」って心震えるような機会が残ってるかもしれない(残ってるはずだ)。それって楽しみだなーって思ったりしました。

「自分は生きてる価値がないかも」って絶望の淵にいた30歳前後から現在までを振り返るだけでも、自分が思いもよらず「生きててよかったー」って感じる出来事かあったことに気付きました。

それは、結婚式を挙げてみんなから祝福を受けたときとか、想像以上にすばらしい作品を観たときとか、ワールドカップで日本代表の戦いに感動したとか、復活しないと思っていた大好きなバンドが再結成して15年ぶりに新曲が聴けたとか……(どんどん、マスになっていく)。数えたらきりないくらい、「あー、生きててよかった」って、感動したり、涙したり、心が温まったりしてました。

先週から病院に通い、CTとか内視鏡とかいろんな検査をした結果……「異常なし」でした(何かあるかもだけどな)。体調も少しずつよくなって、今は「トンカツ食べたいなー」と思うくらい復調しました(それ元気やろ)。

僕は不安から解放されたとき、生きた心地とともに「あーよかったー」(花*花ではないし、そもそも古い)とつぶやいてました。

あーそうか。心が震えるような出来事じゃなくても、こうして何気なく暮らしてること自体が幸せだし、素晴らしいことなんだと。

ちまたでは「目標を持て」とか「あなたが死ぬまでにやりたいことは何か」とか言ってる人も多いけど、「そんなこと分からないよ」って人も多いと思います(まぁ、僕みたいに)。

今はまずまず楽しく過ごしている僕も、この先、毎日が面白くなかったり、今日をムダにしてしまったり、また絶望の淵でさまよったり(もう勘弁)するかもしれない。

でも、生きてれば「あーよかったなー」って感情は必ず(と言いたい)訪れると思うし、それ以前に生きてること自体でほぼ幸せじゃないっすか、センパイ!…そう思うわけです。

無理やり目標をつくんなくても、それだけでもいいような気がしたりしなかったり(もちろんあってもいいけど)。

そんなことが頭でぐるぐるまわった2018年の秋。

まあ、結局のところ、フリーランスのみなさんも会社員の人も、毎年健康診断は受けましょー。早期発見がカギを握るとお医者さんが言ってましたよ、ということでした。

それにしても長いし乱文すぎるな。

でも、最後まで読んでくれてたあなた、ありがとう、いい薬です。


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