あたらしいものができるとき
都心に住み始めたころ、「東京はいつもどこかで建てたり壊したりしているから、『これが東京』という完成した瞬間がない都市なんだ」という話を聞いたことがあります。 先日、外苑前を訪れたので、久しぶりに(サッカーの聖地)国立競技場でも見に行こうかなと、蒸し暑いなかてくてく歩いていたら、目
「フェス」と付ければ世界は平和だニャ
いろいろな投稿で、今日からフジロックフェスティバルということを知りました。 このフェスが始まると、僕は「夏が始まったなー」なんて、アイスを頬張りながらぼけっと考えるわけです。 それにしても、この「フェス」という言葉。 年を重ねるごとに、耳にする回数が増えてるように感じます。 そう
「誰か」の「誰か」に僕がなっているとしたら
さっき、背伸びしてワインなど飲んでみたんですよ、いや、背伸びしてないか、もう中年なんで(年齢の問題でもないけど)。 それで、ふとこんなことを思いました。 このワインは遠い国の誰かが作って、それを誰かが日本に送って、誰かが受け取って、誰かがお店に置いて、それを僕が買って、いま飲んで
反町(そりまち)って書いて、反町(たんまち)です
たとえば「相模」って言葉があるじゃないですか。これはもちろん「すもう」 と読みそうですが、ちがいますよね。 「さがみ」です。 ちなみに、すもうは「相撲」と書きます。 「相模」と「相撲」。 一見すると見間違う文字って他にもたくさんありますよね。 そして、「反町」。あなたはなんと読み